私が教員を目指した理由は3つです。
- 教員に大きく影響を受けたから。(よくも悪くも)
- 名前の付いた職業に就きたかったから。
- ツライ思い出を嫌な思い出のままにしたくなかったから。
教師に大きく影響を受けたから
ツライ思い出
私は小学校3年生のときに、ある教師の影響で学校にいられなくなった経験があります。
すごーーく辛い経験で、それ以来教員という存在が大嫌いになりました。
アメリカの現地校で経験したことなので、日本の学校とは少し状況が違うかもしれません。
ただ、いくら一生懸命に自分の思いを伝えても、全く信じてもらえなかった。
ある男の子の、
「あいつ(私)がカンニングした!」
の言葉だけを信じた教員を許せなかったです。
大人になってからもやっぱりこの経験は忘れられなくて、当時は思ってなかったけど
「教員の存在って子どもたちに大きく影響するよな〜」
って思ってました。
いい思い出
中学校から日本の学校に通いましたが、やっぱり教員は苦手でした。気軽に先生に話かけている友だちを見て、
「なんでそんなに気軽に話せるんだろう」
って、遠目で見てました笑
そんな私にも、高校で素晴らしい先生との出会いがありました。
私立だったので小学校から持ち上がってくる子たちが多い中、私は高校から入った「外部生」。
最初はなかなか溶け込めませんでした。
誘われてバスケ部に入って、そこにいたのがU先生。
溶け込めない私をすぐにあだ名で呼んでくれて、どんどん部活の仲間や雰囲気に引き込んでくれました。
教員に対していい思い出がなかった私にとって、これはすごく衝撃的でしたね。
「教員の存在で救われることもあるんだ……」
と、教員の子どもたちに与える影響の大きさを痛感しました。
教員の存在は、よくも悪くも子どもたちに大きな影響を与える。すごい仕事だ!
高校生の頃にはそう感じるようになり、
「私も教員になりたい」
と、思うようになりました。
名前の付いた職業に就きたかったから
私が本格的に教師を目指そうと思ったのは、大学を卒業してだいぶ経ってからです。
私が大学を卒業した2000年は、就職超氷河期!教員免許を取得したものの、体育教師の募集は県でたったの2人!!
当然目指す気になれず、なんとかたった一社だけ内定の取れた会社に就職しました。
就職活動中も、就職後も、なーんか、自分が会社でどんな仕事をしたいのか分からなかったんですよね。
仕事をしていても、
「自分はこのままでいいのかな……」
と、ずっとモヤモヤした気持ちで働いていました。
モヤモヤの中で私が感じたことは、
「名前の付いた職業って専門的でかっこいいな」
ということ。
警察官、自衛官、消防士、看護師、美容師、獣医師、教師……
何がやりたいのか分からないままとにかく就職活動をして、とりあえず就職してということしかしてこなかった私には、「高い専門性」が憧れでした。
やっぱり、ずっと漠然ともっていた
「教員になりたい」
という気持ちを、実現させようと思いました。
ツライ思い出を嫌な思い出のままにしたくなかったから
教員を目指そうと考えたときに、やっぱり思い出すのが小学校で経験したツライ思い出……
ただ、教員を目指す前はただのツライ思い出だったのが、少し変わってきたんですよね。
どう変わったのか。それは、
「私は絶対に、子どもにあんな辛い思いをさせない!」
「誰か1人の意見だけを信用して指導するまい!」
「子どもたちの人生に大きな影響を与える責任の重みを感じて仕事をしよう!」
いわゆる、反面教師というやつですね!
この時点で、ツライ思い出が教員を目指す原動力に変わったんです。
これは嬉しかったですね〜!自分で道を切り開いたような、コンプレックスがプラスに動いたような♪
教員になってから分かったことは、
「教員になる人は学校で嫌な思いをしたことがあったり、挫折した経験がある人の方が、子どもたちのことを理解しようと努力する先生になれる」
ということ。
どんな経験も無駄にはならないんですよね!(今だから言えるよね。)
まとめ
今回は、私が教員を目指した理由について書きました。
教員を目指す人は、自分がなぜ教員になりたいのかよく分析する必要があります。
教員採用試験の面接で、「なぜ教員を目指したのか」は、必ず聞かれますから。
私はこの分析がしっかりできてなかったから、面接は苦手でしたね〜泣
ブログにこうやって書いていくうちに、やっと頭が整理されてきたって感じです。(遅い)
今なら、面接官に胸を張って言えます!
- 教員の存在は、よくも悪くも子どもたちに大きな影響を与える。私は子どもたちにいい影響を与えたいんです!
- 専門性のある職業に就きたいんです!
- ツライ思い出を反面教師にして、子どもたちとともに成長したいんです!
落ちたりして……笑