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ちんぷんかんぷんの現地校生活スタート
私は、父の仕事の関係で、小学校3年生から6年生までアメリカのニュージャージー州に住んでいました。
当時はニューヨーク日本人学校は5年生からしか児童を募集していなかったので、3年生だった私は公立の現地校に通うことになりました。
英語が全く話せなかった私は、母に
「Can I go to the bathroom?」(トイレに行ってもいいですか?)
の言葉だけを習って、何度も練習しました。
登校初日、母と一緒に教室に行ったのですが、母が間違えて隣のクラスに連れて行ったもんだから、しばらくして教室を移動させられました笑
もう、何が何だか分からなかったですね……!
転入生だから先生に優しくしてもらえるわけでもなく、チヤホヤされるわけでもなく、周りの人が何を行っているのかさっぱり分からない!
なんとなく教室にいたと思います笑
公立の現地校だったので、やっぱり地域性があるというか、隣町の学校と大きく雰囲気が違いました。
5歳下の妹は、隣町に引っ越してから現地校に入ったので、違いがよく分かりました。ちなみに妹は、2年くらい現地校に通って、第2外国語のスペイン語を英語で習っていましたよ。
宿題が出ると、母が辞書を山積みにして必死に一緒にやっていたのをよく覚えています笑
公立の学校は学校によって、地域の差が出たり、雰囲気が違ったりするのは日本と一緒ですね。
人生変わった!?私にとって大事件が起きる!
徐々に学校生活にも慣れ、少しずつ友だちができ始めた頃、とっても辛いことが起きました。
英語が話せない子だけが集められて、英語を勉強する時間があったんですよね。
そこでプリントをやっていたときに、ある男の子に
「あいつ(私)がカンニングした!」
と、言われ、先生もその子の言うことを信じました。
英語はまだまだ全然分からなかったけど、先生に責められているのは痛いほど分かりました。
結局、そのことがあってから、他の教科でいい点数をとっても
「カンニングだ!」
といろんな子に言われるようになり、学校にいられなくなりました泣
これは、小学校3年生だった私にとって、忘れられない辛い経験です。
男の子に嘘をつかれたことよりも、先生が
「カンニングなんてしてない!」
といくら下手くそな英語で訴えても、一切信じてくれなかったのが辛かった。
今思い出しても、
「あんなことがなかったら、今頃英語がペラペラで外資系に勤めて、世界を駆け回ってたかも!?」
「人生変わってただろうな〜」
なんて、思いますよ笑(たいして変わってなかったりして)
だから、私はこんなことがあってから、『先生』という存在が大嫌いになりました。
……不思議ですよね、そんな私が結局教員という職業に就いたんだから。
反面教師というか、
「私は絶対にあんな先生にならない!」
「子どもの言うことをしっかりと信じられる先生になろう!」
「子どもの訴えていることの真実を見抜けるよう努力しよう!」
と、辛い経験のおかげで自分の中で確固たる信念が生まれた気もしますね。
だから、よくも悪くも、カンニング事件は私の人生を大きく変えた出来事でした!
これが日本の学校と違うところだ!
登校はスクールバス
日本人学校の記事でも書きましたが、日本みたいに子どもだけで歩ける治安じゃないんですよね。
現地校は家からは歩いて行ける距離でしたが、スクールバスで通っていましたね。
ランドセル、体操服、給食がない!
ランドセルがないので、みんなリュック+ランチボックスを持って登校していました。
給食がないので、お弁当をランチボックスに入れていましたよ。みんなすごく質素なお弁当で、パンにジャムを塗ったものだけなんて子が多かったです。
私が日本でもっていくような唐揚げや卵焼きが入ったお弁当をもって行ったら、みんな見にきて周りに人だかりができましたね……!
おやつの時間があったので、みんなおやつを持ってきていました。日本の学校と違いすぎてビックリしました!
体操服もないので、登校したときの格好で体育の授業を受けました。これも衝撃的でしたね。もちろん、赤白帽子もありませんでした。
日本では、集会や体育の時間は『体育座り』をさせられますが、現地校は『あぐら』。これもビックリしたな〜!
先生が授業中にジュースを飲む
日本では考えられませんが、子どもたちが一生懸命勉強しているときに先生はよくチェリージュースを飲んでいました。
静かな教室に
「ウーーン、ヤミーーーー♪」
って声が聞こえてくると、先生がチェリージュース飲んでる……!
これはビックリするって!!笑
英語を話せない子専用の英語クラスがある
先ほども書きましたが、いろんな国籍の子がいるので、英語を話せない子はこの時間は英語クラスに行くっていう時間がありましたね。
その辺のサポートはしっかりしていたと思います。
私のいた学校は結構日本人が多くて、友だちとは日本語を話せてしまう環境だったのでなかなか英語は上達しませんでした……。
帰国子女=英語ペラペラとは限らない
んですよ〜汗
基本置き勉
最近は、日本の学校でも置き勉OKの風潮がありますよね。
私の行っていた現地校は当時(33年前!)から、基本は置き勉でしたね。
っていうのも、日本の教科書と違って、アメリカの教科書はハードカバーで分厚くてメッチャ重いんです!ノートも分厚くて重い!!
宿題やテストがない限り、置き勉していました。
算数は日本が進んでいる
小学校3年生でアメリカに行った私は、日本では『大きな数』を勉強していました。(今は2年生で学習します。)
○億とか、○○万とか。
でも、アメリカに行って最初にやった算数は、
「2は4より大きい」
でした。
ビックリしましたが、算数だけはメチャクチャできて嬉しかったですね〜♪
社会や理科はサッパリちんぷんかんぷん!!
夜にダンスパーティー
公立の普通の小学校なのに、夜ダンスパーティーがありました。
みんな保護者と来ていて、今考えると日本でいう保護者会みたいなものだったと思います。なんかオシャレでポップですよね〜!
みんな
「なんで!?」
ってほど、ダンスがうまかったな〜!
毎朝国旗に忠誠の誓いをする
胸に手を当てて、毎朝星条旗に向けて忠誠の誓いをしました。
星条旗や国家に対して忠誠を誓うんですよね。
I pledge allegiance
To the flag
Of the United States of America,
And to the republic
For which it stands,
One nation,
Under God,
Indivisible,
With liberty
And justice for all
英語は全然話せなかったけど、毎朝暗唱させられるので、これだけは覚えて言ってました笑
夏休みがとっても長い
日本と違って、9月から新しい学年が始まります。
夏休みが2ヶ月半くらいあるんですよ!(地域によっても差はあるかと思います)
だから、多くの子どもたちは子どもたちだけでお泊まりキャンプに行っていました。(YMCAとか、ふるさとキャンプとか)
私も、夏休みには1カ月間のお泊まりキャンプに行っていましたよ♪メチャクチャ楽しかった!
現地校だけでなく補習校にも通ったよ!
アメリカの学校は当時から週休2日だったので、日本の教育も受けるために土曜日だけ補習校に通っていました。
ニュージャージーにある大学の校舎を借りて勉強してましたね。
補習校は、日本人の先生が日本語で日本の勉強を教えてくれました。
日本語を忘れないように、日本に帰ったときに困らないように、日本の教育も受けさせとくためになどの理由で、通っている子は多かったと思います。
土曜日しか行かないので、正直あまり思い出はありません。
隣に座っていた子とは仲良くなって、今でも年賀状のやりとりはしていますよ〜!
まとめ
現地校は、言葉が通じなくて大変なことや日本との違いに驚くこともいっぱい!
私にとって、言葉が通じない辛さはとても大きなものでした。
ただ、大人になった今、現地校での経験はとても貴重な財産として心の中に残っています。
「アメリカではこうだったな〜」「アメリカでこれにはビックリしたな〜」
など、今でもよく思い出しますよ!
……でも、やっぱり、英語を話せるようになっておきたかったな〜!!